キャリアとは
キャリアについて悩む人とお話しをしていると気づくこと。
特に20代中盤から後半にかけては、自身のキャリアの先が見えたような気がしてしまう。
30歳前後ではその閉塞感を感じ、徐々にキャリアが閉じていくような感覚に襲われます。
私自身も30歳頃、その年齢を目途に自身のキャリアを決めなければならないというような焦燥感に襲われた記憶があります。
簡単に言うと、「現在とは違う自分」を想像すると、それは多くの場合で「今より素敵な自分」を想像してしまうことなんだと思います。
当時の私はそうでした。
私の考えるキャリアは「スキル」と「視野」の両方から成り立つと考えます。
・スキルは誰もがわかりやすいもので、世間の共通言語となります。
〇〇が出来るというものや、資格を持っていたり、実務経験があることですね。
しかし、スキルは余程飛びぬけるか、希少性が高くない限りは満足な評価は得られにくいです。
・視野はそれぞれの視点によるものであり、個人に帰属します。
(共通言語ではなく、それぞれの価値観です。)
視野を広げることで自身の立ち位置を理解し、適切な選択が出来るようになります。
転職においてのキャリアとは
転職により得られるキャリアは、スキルを変え、視野を広げるものです。
スキルは転職で大きく変えられる可能性がありますが、その方法が転職だけだと思い込まないで頂きたいです。 そのために視野を広げて多くの人と出会い、情報を得たり、自身からの発信をして頂きたいのです。
知らなかったこと、知らないことを知るというのは、長い人生の中でとても良い糧となります。
一方、転職市場においてはそれ相応の成果を出し続け突出したスキルや実績を残さない限りは個人の視野は広がれど、スキルの評価は下がってしまいます。
スキルは努力で得られます。 圧倒的な努力を惜しまず行いましょう。
視野は挑戦で得られます。 希少な機会を逃さずに獲得しましょう。
その一歩に私が伴走させて頂きます。
「好き」=「はたらく」=「お金」?
社会で働くということは、外圧から逃れることはできないものでしょうか。
自身のインサイトを深堀し、その内なるものからあふれる衝動が「はたらく」につながったとしても、そのフィールドは現代の社会であり、その己の無力さを痛感することがあります。
そして外圧に脅され、「はたらく」が自立的なものではなく、労働という重いものに変わってしまうのです。
ライフホイールの中で、最も整えることが難しいのが「お金」という人もいます。
それは、社会の仕組みの中で手に入れなければならない以上、それが難しいと感じる人もいるのです。
一方で、その仕組みを手に入れた人はそれ以外のことに難しさを感じるようです。
全てのバランスを整えられる人ってどれくらいいるものなのでしょうか。
「好き」=「はたらく」=「お金」 という感じに、この3項目が成立していれば良いように想像してしまいます。
「好き」=「はたらく」✕「社会との関わり(自己認知・肯定感)」
「お金」=「はたらく」✕「仕組み」
とします。
ここで気づくのは自分を主人公とした「社会との関わり」と、外圧により作られた「仕組み」がまったく別物だということです。
私の考える「社会との関わり」は、とてもあたたかいものです。
「仕組み」は少し機械的で冷たさを感じるかもしれません。
「社会との関わりは」あたたかさの反面、もろく、弱く、可愛らしいものです。
「仕組み」は強固でロジカル、圧倒的な安定感があります。
つまりは、「好き」から「お金」を手に入れることは難しいという理論も成り立つわけです。
「好き」から「お金」へつなげることは難しいのか?
しかし、ここにある希望としては、その「仕組み」が人によって作られたものであり、多くの賢人によるナレッジの集積物であることです。
多くのナレッジは社会の不を解決する為に、過去の賢人が夢中になって取り組んだ功績であり、それにより多くの人が笑顔になり「あたたかさ」を感じたでしょう。
私がみなさんと向き合いたいのは
この無機質で冷たさを感じた「仕組み」にも、心が宿っていること。
「仕組み」を手に入れる、真似するだけではなく、その宿った心を探り、自身の糧とすることで、社会で「はたらく」ということが、より一層、人の為となり、ゆくは自身への最大の報酬となって返ってくる。
仕組みの背景を理解し、その心が宿った「仕組み」を知りましょう。
そして自身が圧倒的な主人公となれる仕組みを利用することを「社会との関わり」としてみませんか。
面談においては、その仕組みを表面上の情報だけではなく、背景から中身までをお伝えします。
自身を展開・整理し、社会の仕組みを理解することで、将来のキャリアを描いてまいりましょう。